牧田淀屋を倉吉市が買い取り改修工事がこのたび終り、先週の連休中に一般公開されました。
我が家から歩いて5分程のところでにあるのですが、バタバタしていて行きませんでしたが賑わっていたようです。
で、「牧田淀屋って何やねん?」ですよね。
私も勉強不足ではっきりしたことはわかりませんが、北前航路や蔵米販売で大坂経済を支配した豪商で、大阪の淀屋橋を架けたのも淀屋なんですって。
豪商・淀屋の繁栄ぶりが仇となり、徳川幕府の弾圧により淀屋の闕所(けっしょ)処分を予感した4代重當は、番頭の牧田仁右衛門を出身地の倉吉に派遣し、密かに「牧田淀屋」を開業させたのです。
この牧田仁右衛門が淀屋清兵衛を名乗っていたそうである。
牧田家は木綿や稲扱千刃(いなこきせんば)、絣など倉吉の特産品を米の販売ルートにのせて全国に売りさばいて再起を図り、闕所から約60年後に元の淀屋橋で復活を果たした。そして、幕末の1859年、私財を倒幕資金に投じて大坂と倉吉の店を閉め、姿を消したというらしい。
淀屋について歴史書にも最初の繁栄していたころしか記述がなく謎が多かったが、淀屋一族の研究を続けていた鳥取在住の作家により、このような歴史がはっきりしたのも近年のことで、地元の者でも知らない人の方が多い。
この新山通江女史の本が我が家にもサイン入りであるんですが、難しすぎて今だ誰も読破していないんです。(-ω-` )
淀屋清兵衛以下代々が、ここ大蓮寺で静かに眠っています。